【知らない大人はヤバい】全日本人が小学生で知っておきたい世の中の真実 3選

【知らない大人はヤバい】全日本人が小学生で知っておきたい世の中の真実 3選 マコなり実験

多くの人が「当たり前」と思うことをできない人がいる

・ここ数年で一番の衝撃の真実
 「ケーキの切れない非行少年たち」
 世界の見え方が変わった
 ケーキが切れないというのは3等分に切れないという意味

・少年院に入った凶悪犯罪に手を染めた非行少年
 「3等分にして見て!」とやらせてみる
 縦に切ったり、真ん中にまっすぐ線を入れたりする子がたくさんいる

・この図形模写してと書いたものがほとんど一致しない
 「100-7」という簡単な計算問題ができない

・多くの人が難なくできることができない傾向にある
 少年たちが凶悪犯罪に手を染めてしまったのは、反省する・しない以前の問題を抱えているから
 多くの人が見えている世界と別の世界を見ている

・少年院の子供たちの特徴
 ①見たり聞いたりする力が弱い
  相手の表情を読み取み取れずに誤解してしまう
 ②一度カッとなるとコントロールができない
 ③後でどうなるかを想像したらわかることがわからない
  平気で後先を考えずに強盗や万引きをしてしまう
 ④自分のことを客観的に見れない
 ⑤思ったように体が動かせない

根本の原因が先天的な障害にあるとしたら見方は少し変わってくるはず
 軽い障害でも苦しんでいる人はたくさんいる

IQ70未満で社会的に障害があれば知的障害と診断される
 一時期はIQ85未満が知的障害とされていた
 この定義だと全国民の16%が知的障害となる
 人数が多すぎるため70未満に下げられた

・私たちは身体的な特徴に気づくことができる
 でも、頭の中は分からない
 私たちは、皆が同じ能力を持っていると思っている
 しかし、本人の努力不足ではなく、先天的に能力が低い場合もある

・誤解してはいけないのは、全てが先天的なものではない
 改善する努力が無駄でもない

・自分の見えている世界と他人が見えている世界が違うという前提
 「あの人は変な人だ」とさげすむ見方は、すぐに改めるべき

・個々人の抱えている障害に早く気づき、幸せに生きていける社会を目指すべき

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書) | 宮口 幸治 |本 | 通販 ...
ケーキの切れない非行少年たち

 私の叔父が知的障害です。叔父の兄弟と一緒に暮らしており、通所施設に通っています。その影響か、障害については詳しくなりました。

 マコなり社長は、知的障害のお話をされていて、グレーゾーンの人たちの問題を取り上げられています。このグレーゾーンの問題は知的障害だけではなく、情緒障害にも当てはまります。

 以前は広汎性発達障害と言われていたものが、自閉症スペクトラム障害と呼ばれるようになりました。広汎性発達障害の方が自閉症スペクトラム障害よりも若干範囲は広いのですが、ほぼ同義だと考えてよいものです。

 しかし、障害に対する捉え方が大きく異なります。広汎性発達障害が分類として障害を捉えているのに対し、自閉症スペクトラム障害はスペクトラムとして障害を考えているのです。

 スペクトラムというのは、「虹のスペクトラム」を考えてもらえば一番わかりやすと思います。虹は、赤から紫まで並んでいますが境目がありません。子供が絵に描くとハッキリ7色に分けて描きますが、実際の虹は境目がないのです。

 虹と同じように、健常者と情緒障害者の間には境目がないと考えるのが自閉症スペクトラム障害という捉え方になります。ですから、社会的な生きづらさを抱えながら、自己の特性に気づかずに生活している人たちが多数いることになるのです。

 自閉症スペクトラム障害と診断されることで、自分の特性に気づくことができ、その後の生活を前向きに捉えられるようになったという話も聞きます。広く自分のことを相談できるような社会になってほしいと思いました。

親も未熟な1人の人間

・子供のころ、お父さん・お母さんは偉大な人間に見える
 でも、20歳を超えて親が自分を生んだ年齢になったとき気づくことができた
 「親も自分と一緒の未熟な人間なんだ」

・未熟とは悪い意味ではなく、完璧な人間でないということ
 昔は親に完璧な人間を期待していた
 期待しているから
怒るし、悲しむ

・私たちは親に過度に期待しすぎているのかもしれない
 でも、それはある意味仕方がないこと
 赤ちゃんの頃から世話をしてきた人間が自分の弱さ・未熟さを認めるのは難しい
 良い親でなければいけないと思うから、完璧さを装い頑固になる

・アクションプラン
 の立場にいる人へ
 ①どこかのタイミングで自分の弱さを見せる・過ちを認める・間違ったら謝る
 ②対等な立場で接する
 すべての人
  親であっても未熟さをありのまま受け入れる

親の価値観”を押し付けすぎると、子どもは考える力を失う。「~~し ...
親も未熟な1人の人間

 私が親を完璧な存在ではないと気が付いたのは、マコなり社長よりもずっと遅いです。高校卒業とともに親元を離れました。そして、30歳半ばで自律神経失調症で休職し、親に迷惑をかけ、自分一人のことしか考えられなかった時期が長かったからでしょう。

 今、自分が53歳という年齢になり、大人はそんなに安定した存在でないということが自分自身を見て良くわかるようになりました。職場の同僚を見ても同じです。つまらないことでケンカし、派閥をつくり、ときにハメをはずしてしまう不安定な存在が大人と言われる集団だとわかりました。

 「親からすれば、いつまでたっても子供は子供」と言われます。真実の一面を捉えてはいるのでしょうが「老いては子に従え」ということわざもあります。親子関係は、それぞれからの見方があり、永遠の課題と言えるのではないでしょうか。

 私自身は、現在両親と一緒に暮らしています。その経験から親子関係は同居していると難しいと感じます。少し離れてお互いを思い合っているくらいの方が、親子関係はうまくいくと思いました。

学校の勉強は社会でほとんど役に立たない

・基礎的な読み書き・計算の能力は教養として役に立つ
 しかし、中学校以上で教えられたことが直接的に役に立っているかは、うまく答えられない

・勉強するという習慣は役に立っているかもしれない
 学校の成績が良ければ人生がよくなるは、大きな誤解

・代ゼミの伝説の講師 荻野先生の人生についての授業
 「受験勉強よりも先の大人になったときに必要な能力はいったい何なのか?」
 通信簿は左側よりも右側が大事
 右側には生活態度が書かれている
 社会に出てから役立つのは右ページの能力
 「協調性・人への優しさ・リーダーシップ」そっちの方がよっぽど大事
 今一生懸命やっている勉強は大人になって役に立たたない
 基礎的な人間力を上げるというのは、数学の偏差値を75に上げるより難しい
 数学にはハウツーがあるが、人間力を高める方法は分からない
 でも、将来役に立つのは数学ではなく人間力

・人間力にただ1つの正解があるわけではない
 必ず成功するという法則もない
 正解は常に自分で考えて探し続けないといけない

・人間の土台となる能力を磨く方法
 感情が動いた体験をするしかない
 自分が実際に行動して、成功したり、失敗して感情が動く
 感情が動いて初めて人間は変わる
 そして、この学びに終わりはない

・本を読んで感情が動く時もある
 しかし、自分で行動したものに勝ることはない

・勉強しないでいいわけではない
 学歴は名刺として役に立ち、有利に働くことも多い
 でも、社会に出て本当に必要なスキルはそこではない

・アクションプラン
 常に新しいことをやってみる

・新しいことをやる以上は確実にうまくいくなんてことはあり得ない
 でも、それをくり返して初めて学ぶことができる
 1回ゼロになったと思って挑戦してみよう!

学校の勉強はほぼ役に立たない」←本当?【本当です】
学校の勉強は社会でほとんど役に立たない

 学校の勉強が大人になったら役に立たないことは、大人になってみればみんな実感として分かります。でも、学校の教育システムが一向に変わらないのはなぜなのでしょうか。

 1つの理由は、協調性・人への優しさ・コミュニケーション力を定量的に測る方法がないからでしょう。協力性を測るテストを作ることはできません。もう1つの理由は、測る大人が不完全だからでしょう。学校の先生が一面的な見方で協力性に〇をつけても、それでその子の協力性をきちんと見取ることができているとは言えないからです。

 では、このまま学校のシステムは変わらないのかというとそういうではないと思っています。大きいのは知識の伝達の部分の変化です。

 GIGAスクール構想によって、子供たち一人ひとりがパソコンを持つことになりました。これによって、先生によって教えられていた知識の伝達が動画に置き換えられるようになります。そして、画一的なドリルによる学習は個別最適化されたAIドリルになるでしょう。

 これによって起きる大きな変化は2つです。
 ①グレーゾーンの子供たちに先生方は時間を使えるようになること
 ②学校の意味は、効率の良い知識の伝達ではなく、集団による体験のためになること

 ①によって、今まで困った子と見なされていた子供たちが、個性的な子として手厚く支援してもらえるようになります。今まで特別支援教育の手法としてみなされていたものが、通常の学級でも行われることになるでしょう。一斉ではなく、個別に対応してもらえる時間が圧倒的に増えます。先生方は集団への対応スキルよりも個別対応のスキルが求められるようになるでしょう。

 ②は、学校に集まることの意味が変わってくるということです。同じ学年の子供たちを一斉授業で教えることが効率が良かったのは昔の話になります。そうなると知識の伝達のために集まることに意味はありません。別の意味が求められるのです。それが、集団でしかできない体験。今までも学校行事としておこなわれていたことが、学校のメインになります。

 教育は国の要です。子供たちに投資しない国は生き残れません。大胆に教育改革を進めてほしいと思います。

今日のアクションプラン

・「ケーキの切れない非行少年たち」のYouTube動画比較を作成する

今日のアクションチェック

 「ケーキの切れない非行少年たち」のYouTube動画比較を作成できました。

 非行少年たちの多くが反省以前の問題で苦しんでいることを知りました。

 認知機能のトレーニングであるコグトレにどれぐらいの効果があるのか興味があります。ぜひ、学校現場で導入してほしいです。

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